中学受験 拾遺(3)

学習

学習に関しては、気持ちはともかく、実際には我が家は十分サポートできていなかったので、もう少し何とか出来たらよかったかも、と感じています。新5年生の時に入塾して、その夏ぐらいまではほとんど放置していましたが、5年の夏期講習時にこれではあまりよろしくないと思って、家庭で学習計画管理も少しするようにしました。このあたりのことは、中学受験についてこのブログで書き始めたときに書いた通りです。

日能研の公開模試偏差値は、5年の平均がだいたい55ぐらい。6年の平均がその+9程度でした。と考えると、よく6年の年間偏差値を「持ち偏差値」と言ったり、6年の模試の最高、最低の範囲で志望校をまとめましょうというアドバイスがありますが、我が家の受験結果から考えてもそれは妥当だと思います。

過去問について

我が家は、始めるのが遅くて、10月ぐらいに最初の過去問をやりましたが、ぼろくそで、第一志望校の過去問で受験者平均点を超える点が出始めたのが1月になってからでした。その後も、受験者平均を割る点しか取れない年も多く、最後まで不安でした。豊島は、1回の合格最低点は過去問で取れるようになっていましたが、2回、3回は、ぎりぎり合格程度だったので、1回の不合格を見たときには親としては、「ああ、残念だ。。。」と正直思いました。これらの学校の過去問は、最終的には10回分程度をやりました。

1月の淑徳与野、明の星、渋谷幕張については、それぞれ3回分程度をやって本番に臨みましたが、どの学校についても合格点には毎回達していました。特に、渋谷幕張は、R4偏差値からするとチャレンジなのですが、過去問からすると毎回余裕がありました。これは、社会理科の重みが他の学校と比べると重めで算数の弱い娘の弱点をカバーしてくれていたのかも、で、本番入試でもそれぞれ合格をもらえました。

併願校の組み立てについて

塾のアドバイス通り、娘の模試偏差値の範囲から受験校を選定しました。1月については、2月受験校が女子校が多いと考えられたので、女子校連戦ができる淑徳与野・明の星と、娘がなぜか受けたさそうにしていた渋幕を選択しました。2月校は、豊島はチャレンジなので、全落ちに備えて1日午後と2日午後に受験校を設定しましたが、体力・精神力的に、2月受験は非常に大変で、1日の午後受験はもっと楽に移動できるところを選んだ方が2日の受験に良かったのかもしれませんが、受験校は行ってみたい学校でないといけないので、現実には他の組み方は難しかったと思います。2日午後は出願はしていましたが、2日の豊島であまりに疲れた感じだったことと、1日のフェリスが合格していましたので、受験をあきらめました。

受験が終わって

子どもはさっさと、学校に戻っていきました。切り替えが早い!親は、なんだか急に終わっちゃった感じで、心にぽっかり穴が開いたままです。仕事もずいぶん休ませていただいて、滞っているのですが、仕事に気持ちがまだ戻ってきていません。明日から大丈夫かな。。。

 

中学受験 拾遺 (2)

今年は、インフルエンザが流行りまくりましたね。

我が家も例外ではなく、昨年10月末に家族全員インフルエンザの予防接種をしていたのにも関わらず、正月明けに妻を発信源として、インフルエンザが家族に蔓延しそうになりました。。。娘も、1月の埼玉受験前の微妙なタイミングに妻から(たぶん)インフルエンザをもらい、学校は行けないし、塾は行けないしでやばー、って感じでした。淑徳与野を受験したときには、熱が下がり、2日以上経過していましたが、明の星と淑徳与野の過去問演習は、淑徳与野に行く前日に慌ててやるという体たらくでした。。。

これ以降、我が家では、羹に懲りてなますを吹く、インフル防止対応をしていました。

やったこと。

・手洗いうがいの励行、マスク着用の徹底(当たり前のこと)マスク箱買い。

・家の空気清浄機・加湿器の増備(Amazon最高!)+積極的な(=24時間体制)使用 リビングは2台、他は各室1台体制。加湿器のタンク給水が朝夕就寝前の日課でした。

・各人離れてそれぞれ別室に就寝。父は1カ月間リビングに布団を敷いて寝起きしてました。。。

・人混みを避ける。可能な限り電車に乗らない。私も妻も、車通勤なので、やりやすいのですが、出張なども飛行機・新幹線などには乗らないようにしました。塾の送り迎えも極力車で往復。日特などは塾の送り迎えで1日2往復片道50km=200kmを走ったかも。やりすぎかもしれませんが、例年横浜駅の地下を通った後インフルエンザに罹るーー>家族に蔓延を繰り返していたので、今年これを父発信地になったらアウトだと思って。。。また、仕事でも、なるべく人と合う用事を1月に設定しないようにしました。

・栄養をつける(?)

お蜜柑とか、リポDとか、ヤクルト(我が家は宗教上の理由で、R-1じゃなくてヤクルトなんです)とか、適量+αを摂取。乳酸菌がいいのでは感(?)に毒されていて、乳酸菌キムチとか食べててまあ気のせい?それから、肉も気軽に食べるようにしていました。意味があったのかはわかりませんが、例年父は貧弱でインフルエンザに罹っていましたが、今年かかることは防止できました!

1月に学校を休むのか?問題について。

我が家は当初は、1/31にお休みを頂くほかは、試験の日以外は登校するつもりでいましたが、上述の通り、1月いきなりインフルに罹患して休み、明の星受験した後も体力が回復せず休み、学校に復帰したと思ったら、明らかにインフルに罹っているのに学校に来ている子がいることがわかり、恐ろしくなって、学校を休ませてしまいました。試験の前の週には、実際に小学校のかなり多くのクラスが学級閉鎖となり、図らずも、1月のかなりの割合、2月入試まで学校を休む結果となってしまいました。

娘が学校を休んでいても、親は仕事があるので、めちゃくちゃ家族のオペレーションが困難だし、娘も家と塾の往復ばかりで、かなり気が滅入るところがあったようです。たまに夜のお散歩に妻が連れ出してくれたりしたので、これはよかったのですが、まあ、個人的意見としては、学校を受験勉強のために休むのはリスクも大きいかなと思いました。過去問の進みが年内はかなりスローペースだったので、1月に家で長めの時間が取れたのはよかったのかもしれませんが。

 

 

中学受験 拾遺 (1)

昨日夜、我が家の中学受験は最後の豊島岡受験が繰り上げ合格候補で終わりました。

試験は終わったのですが、中学受験が何のためにあるかというと、進学する中学を決定するためにあるわけで、当然進学先1つを決定して、その手続きをしなければ終わりません。

2日の昼には、フェリスの発表があり、合格を頂いていて、フェリスの第一次手続きが、3日にあり、入学金を支払っています。娘の熱望校はフェリスで、それは前々から確認していたのですが、豊島岡も同じくらい行きたい中学ということで、2/3, 2/4と苦しい中、受け続けることができたのは、娘の強い意志があったからだと思います。さて、最終的に、豊島は繰り上げ候補で終わったわけですが、3回とも受験をしていたので、第一志望の旨を豊島岡に申告すれば繰り上げ合格する可能性が高まることは、豊島岡の入試説明会でも説明があった通りです。さて、そのような条件で、大事なのは、娘の考えということで、昨日発表があった後、娘にどちらに行きたいのかと再確認をしました。親としては、これだけ大変な思いをしてここまで来たのだから、豊島に行きたいと言う可能性もあるのかなという考えからの再確認…娘の答えは、「フェリス」でした。

ということで、私は、今朝、再び豊島岡を訪問、繰り上げ候補の通知を受け取る際に、豊島岡の教務の先生にその旨をお伝えし、辞退となりました。教務の先生は、昨年の春に、学校見学に1人でお邪魔させていただいたときに、丁寧にご案内していただいた先生だったので、お伝えするのが辛かった。

娘に黙って、「第一志望です」、って言って、繰り上げ連絡が来たら手続きしちゃおうかとふと思ったのは内緒です。ってそれじゃダメでしょ。。。娘にとっては志望順位は明確だったのだと思うのですが、親はブレブレでした。

中学受験は、併願校をいくつも設定しますので、当然辞退する学校もたくさん出ます。私は、つらかった。明の星などに辞退届のFAXを送るのが。そして、1校に進学先を決めるのが。どの学校も素晴らしいし、娘が一生懸命取り組んだ結果いただいた合格だから。我が家は、娘の意思が非常に明確だったし、幸いにも熱望校から合格を頂けたから、楽だったのかもしれないけど、このあたり悩まれる方々も多いのではないでしょうか?

 

豊島岡を受ける (3)

今朝も5時に起きて電車に乗って池袋に行きました。泣いても笑っても、中学受験は今日で終わりです。豊島岡を3回とも出願し、3回とも受験となりました。

昨晩不合格をWebで見たときには、娘は静かにしていましたが、後で机を見ると、しずくがたくさん落ちていました。父親の前では泣きたくないようです。

塾から問題と答案例を頂いて、分析をしたところ、算数・社会・理科にミスが多いとわかりました。ミスした理由を娘と話し合うとともに、問題演習を少ししてみました。それから、社会の問題は関連分野から1回、2回とも出ているように思えたので、時事問題や、出題分野の山掛けをしようと考えました。

今朝、電車の中で、時事問題の予想を妻にしてもらい、親子で確認をしつつ、池袋に行きました。

最後の入試ですが、お別れの時は、いつも通り、「問題に向き合うように」と、あと「トイレに行くように」と伝えて送り出しました。

私は、いつもと同じ控室で受験終了まで仕事をしたり、算数と理科の時間に娘に念を送ったり(?)しながら待機しました。

控室の雰囲気は、昨日とはちょっと違っており、沈痛な雰囲気は少し和らいでいたように思います。ひょっとすると、受験者層が第2回と第3回では違っているのかなと思いました。控室にいらっしゃる保護者の方々は、第2回はかなり悲痛な感じだったのですが、第3回は、何となくですが、優雅な感じの方が多かったような。。。娘に聞くと、受験生たちも、第2回の時はかなりピリピリしていたけど、第3回入試では、それほどでもなかった、と言っていました。第2回は2/3なので、とにかく豊島!な方の割合が高いけど、第3回は、2/3は国立・公立の受験日ですので、そちらを受けて、4日は豊島も受けよう!という方の割合が多いのかもしれません。いや、勝手な想像ですが。

そんなこんなで、最後の入試の鐘がなり、私は、正門前で娘が出てくるのを待ちました。我が娘は、かなーり晴れ晴れした、つき物の取れたような表情で出てきました。とにかく、お疲れ様!と学校から少し離れたところで、ハイタッチをして、受験日程をとにかく最後まであきらめずに走り抜けられたことに感謝し喜びました。

その後、横浜に移動し、お昼をレストランでゆったりと食べた後、デパートで制服の採寸をして、夕方に帰宅しました。

そして、19時の発表を親子で確認しました。

第3回も、合格者の名簿には、娘の受験番号はありませんでした。

ただ、今回は、繰り上げ合格候補者の名簿に受験番号があり、ああ、惜しいところまではいったんだな、ということがわかり親子で喜び合いました。

これまでは、まったくどの程度距離があるのかもわからず受験していて非常につらい不合格でした。でも、合格を目指して娘が毎日一生懸命勉強してきたことは間違いではなかったんだな、と今は思えます。

2/1校が娘の熱望校でしたが、豊島岡を目指して一生懸命に勉強していなかったら、きっとその合格もなかったと思います。2月の4日間の受験は親子とも想像を超えて精神的、体力的に大変なものでしたが、4日間走り続けたことは今後の娘の人生に大きな糧になってくれると思いました。

これで、我が家の中学受験、終了です。

豊島岡を受ける (2)

2/3の朝5時に起き、電車に乗って池袋に行きました。

2/2の19時の発表は、残念でした。娘と一緒にPCで発表を見たのですが、番号がないのは辛い体験でした。娘はじっと黙っていました。私は、何度も見直したのですが、PDFの画面に娘の受験番号があぶり出しのように出てくることはありませんでした。2/3の受験の意思を確認すると、受験するということで、2/2の問題を振り返りし、プリントでいくつか苦手なところを演習して、荷物の用意をして寝ました。

豊島岡には、2/2と同様の時間に到着しました。今日は、昨日と比べると受験者も少ない感じでした。控室の保護者の方々も、ちょっと昨日とは様子が違っていました。我が家もそうですが、昨日夜に辛い思いをして、今ここにいる感じで、少しどんよりした感じもしました。今日も親は、祈ることしかできません。私は算数の時間に、解けるように娘に念を送りましたが、それが伝わったかどうかは謎です。

今日は、昨日に合格した方々の入学手続きも並行して行われています。受験者が出てくるのを待つ第二回試験の保護者が並んでいるところを、第一回試験の合格者が満面の笑顔で手続きのために入っていきます。非常に複雑な心境にならざるを得ないセッティングでした。

今回は娘は、「全部埋めた!」「手応えあった!」と笑顔で出てきました。前回は、白いところがあったようなのですが、今回は、取り組めたとのことでした。

そんなかたちで、今日の19時の発表を待ち、合否を確認したのですが、残念ながら今回も受験番号は、見当たりませんでした。塾が作成した問題の回答を確認したのですが、いくつかミスがあり、合格点には達していなかったのだなとわかりました。

現実は厳しいです。明日も受験します。