昨年夏は、我が家がちょうど竣工したタイミングで、夏休みはひたすら引っ越しなどの準備に明け暮れて旅行はできませんでしたので、今年は少し時間を取って、兵庫県の実家に帰省するついでに、父の故郷である高知へ行ってきました。
兵庫県にはいつも車で帰省しています。
今回は渋滞しないタイミングで帰省したつもりでしたが渋滞は避けられませんね。。。
兵庫県の実家ではもっぱら昼はプールに子供を連れて行き、自分もついでに泳いで、夜は、肉・魚とビールを食らう毎日でした。
高知へは、瀬戸大橋を通って行きます。
我が家は、叔父の設計で建てたのですが、高知は父の故郷でもあり、そのためか、叔父の設計の建物がいくつかありますので、見てきました。
その1
祖父の家で1974年竣工、1975年の新建築などに紹介されているもの。
今も住んでいるので、竣工時と違ってかなり生活感のある住まいに変化していました。
今も住んでいるので竣工時の写真で紹介。
外から見たところ。大きな特徴は、家の南側に大きな窓がついていて、窓の左右に開く木製の雨戸(ガラリ)が1Fと2Fが繋がった1枚ものであるということ。
この雨戸とてもかっこいいものですが、今はありません。2F分が繋がった雨戸は非常に重いものだったことを覚えています。それと、南側が非常に広い窓で日射がたくさん入る一方、風のぬけがそれほどよくないので、2Fが非常に暑い建物であったことを覚えています。
この写真では、周りは何もありませんが、今では周りに家が立ち並んでいてずいぶん印象が変わっています。
内部は、大胆なスキップフロア構成。2Fに上がる階段は、キャンティで、コンクリ打ちっぱなしの壁から階段が生えています。2Fのフロアとは、完全に仕切りなしで吹き抜けでリビングとつながっています。
床面積が88平米しかないとは思えない広さを感じさせる建物です。
この建物は、私が生まれて最初に出会った「現代建築」です。
そこらへんの建物番組で紹介されている建物のような俗っぽさ加減がなく、かなりアバンギャルドな建物で、ここに住んでいた祖父は大変だったのではないかと思います。が、自分の家を建てた、その後にこの建物を見ると、これはこれでアリではないか?という印象を持ちました。
その2
これはもっと最近の建物で「新京橋プラザ」といい、はりまや橋の近くにあります。
前は、イベント会場的に使われていたと記憶していますが、今は、商店街のアンテナショップになっているようです。
建物は、土佐黒潮を泳ぐ、「くじら」のイメージ。
アンテナショップになってからは2F部分は使われていないのが残念。
くじら、のイメージなので、とっても動的な建物なのですが、建物の使われ方は、そんな意図は無残に蹂躙されてしまってます。。。
やはり、建物は、引き渡された瞬間から、ユーザーのもの。。?
というわけで、帰省のついでの建築めぐりについてでした。