学コン(大学への数学)の思い出

ヤフーニュースを見ていたらとても懐かしく感じられたニュースがありました。

世界的数学者も生み出した、60年以上続く学力コンテストの凄み

私も、田舎の高校生の時、大学への数学で学コンやってました。というより、学コンのために東京出版の大学への数学を高校の近所の本屋で毎月買っていたような気がします。

記事でも触れられていますが、学コンの問題って、(私には)パパっと解けるものがほとんどなく、かなーり時間を(それこそ何時間も)費やして考えて解いていました。だいたいは力わざで解くという感じだったように思うのですが、たまーにスッキリとした解き方(というか着想)できれいに回答ができたときは、心が湧きたつ感じを覚えたものでした。夜中に突然思いついて回答を書き始めて夜更かし、ということも何度かあったように思います。

問題集をこなしていく、というのとはまた違う世界があって、大学受験勉強は今一つ何を勉強したか、今や思い出せないのですが、学コンに取り組んだ日々は今でもありありと覚えている。そういう青春の一コマだったと思います。こういう、しつこく、うんうん、考えることで、ふと「わかった!」という瞬間を得ることを、高校時代にやっていたことは、今の自分(や現在の職業選択)にもつながっているところなのかもと今思える、そんな感じです。

学コンの成績はあまり良いほうではなかったけれど、たまーに優秀者になって、ファイルをもらったときなどはやっぱりうれしいものでした。

このヤフーの記事が懐かしく思えたのにはもう一つ個人的理由があります。大学に進学して何年か、ここで紹介されている東京出版の編集部に「学コンマン」としてお世話になっていました。記事の写真の浦辺さんのお元気な姿を拝見し、とてもとても懐かしく、これを書かざるを得ない感じです。

「学コンマン」のアルバイトは、問題解く方もなかなか大変なものですが、添削もなかなかハードな仕事でした。問題の解は、いくつものアプローチがあるものなので、一応何通りかのアプローチを予習して添削に取り掛かるのですが、想定通りの回答をしておられない方も多々あり、その方の組み立てた回答のロジックをたどりつつ、最終的に間違っている場合には、どこで論理に問題が出たのかを見つけ出し、指摘する必要がありますし、一見正解の場合にも、論理の穴がないかしっかり押えて指摘する必要があります(結構このパターンが多い)。中には、全く意味不明の論理展開をされている方もおられ(結構このパターンも多い)、採点でしたら、意味不明0点としたいところですが、添削なので、こちらも回答した方の意図を探るという、今思うとなかなか難しいことを、よく何年も続けてやれたな、と思います。ただ、私を指名してくれる方もおられ、指名されると、やっぱりしっかり見てあげなくては、となりますので、時給換算するととても言えないような時間をかけて見るようなこともありました。

記事の写真脚注で「優秀な答案は論理がすっと追えるという」とありますが、これは相当ぼやかした表現で、「論理がすっと追える答案はあまりない」が割と本当のところでしょう。。。

ともあれ、この記事はとても良い記事なので、ぜひ皆さんにも読んでもらいたい、そして学コンにも取り組んでみてほしい。と思いました。

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